今年はお盆休みを利用して、昔から憧れていた中国内陸の西南部にある成都、重慶、西安を回りました。
成都と重慶は四川省に位置し、三國時代の「蜀」という國の地域に辺ります。西安は昔「長安」と呼ばれ、中国の西周(紀元前771年迄)年から唐時代(618〜907年)の都として栄え、この時代に日本から遣唐使が派遣され、唐の進んだ政治・文化や文物を日本に伝え、当時の日本の国家体制や文化の形成に大きな影響を与えたようです。
成都
成都は四川省の省都(日本の県庁所在地)として、三国時代には「蜀」という国の都として繁栄していました。現在でも中部地方の政治、経済、文化の要地であり、昔から「天府之国(物産の豊かな土地)」と言われ、独自の食文化「四川料理」を育んできました。
豊かな自然や古い歴史を感じられるスポットや、近代発展した都会的なエリアなど、みどころ満載です。
実は私18歳の時に、当時就職した会社から成都にある工場に見習生として、派遣され2ケ月ほど生活した経験がありました。
当初と比べ、この数十年の発展ぶりを唖然します。
ビジネスパートナーと四川料理満喫
パンター保護センターは空調内で快眠
新しい市内観光スポット
街頭の耳かきサービス
世界遺産として登録された峨眉山(オーメイシャン)と楽山(ローシャン)大仏
楽山(ローシャン)大仏とは、長江の楽山市にある河沿の断崖に刻まれています高さの71メートルの岩石大仏です。
重慶
重慶市は1997年に中国政府が内陸部振興のため、北京、上海、天津に続き、4つ目の直轄市として新設されました。現在、人口3000万を超える中国最大の都市として目覚しく発展しています。
また、他の都市と違い、長江両岸の山で削り作られた町の為、高低差が激しく、昔から「山城」との異名と称されました。成都から高速鉄道(中国版:新幹線)を利用して2時間程度で重慶に一泊二日の観光をしました。到着当日の夜は、観光船で重慶長江の夜景満喫しました。
瓷器口古镇(グーチェン)(古代風情を残す古い町並み)散策
ここは宋時代(唐の次の王朝960年 – 1279年)から水運の埠頭として栄えた町です。
古鎮の入り口にある牌楼(日本の鳥居)を見れば、古い町の雰囲気を感じられる。中に入ると、古い民家で立ち並んだ商店街は石階段で上下坂を繋がり、各種グルメ屋台や地方名産品、お菓子屋など平日にもかかわらず、外国人と中国の他の地方からの観光客で終日賑やかしています。
西安
成都から高速鉄道(中国版:新幹線)を利用して4時間程度で西安に一泊二日の観光をしました。
鐘鼓楼夜景
西安の中心地に、明時代(1380年頃)に建てられた600年以上の歴史がある建物です。王朝時代に夕方になると大きな太鼓を叩いて時刻を知らせたことから、鼓楼と名づけられたという。鐘楼の鐘と鼓楼の鼓は「朝の鐘、夕の鼓」と呼び親しまれている。現在、夜になるとライトアップされ、西安市の夜景スポットとして有名です。
回民街(イスラムタウン)
鐘鼓楼のすぐ近くにイスラムタウンがあり、西安地元の回民族のグルメを楽しめます。回民族とはイスラム教の民族であり、中国にある55の少数民族の一つであります。
中国のほとんどの地域には回民族が居住しており、人口に占める率もわりに多く、分布地域の最も広い少数民族である。回民族の人たちはイスラム教を信奉し、モスクが建て、モスクを囲んで居住することがその特徴となっています。ここの西安もこの地域には数十のモスクがあり、数万人と言われる回民族の人々はモスクの周りに住んでいます、回民族は自らの特有の飲食習慣があるため、飲食業を主とする事業を営む伝統があります。従って、この地域を中心とした有名な「美食街」が出来上がりました。回民族の美食とは、小麦粉を主食とし、牛や羊の肉をあぶって食べる料理です。
始皇帝陵兵馬俑
始皇帝とは、紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げると最初の皇帝として、「始皇帝」と名乗りました。その後、漢文字の統一、国家単位での貨幣や計量単位の統一、運河や道路を整備し、さらには大型建造物を造り、天下に力を誇示したのです。
その偉業として、「万里の長城」とこの地下に巨大な宮殿である「始皇帝陵」の建設であった。
現在までに約8000体の俑が確認されている。兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはないようです。将軍・騎兵・歩兵と異なる階級や役割を反映させた造形は、当時始皇帝麾下の軍団を忠実に映したものである。
兵馬俑は1974年に地元の農民は井戸を掘っていた際に、偶然に発見されました。それまでに兵馬俑の存在は全く知られませんでした。掘り出した兵馬俑は殆ど完全体ではない為、修繕を待っています。
秦始皇兵馬俑博物館
大秦兵馬俑と記念写真
タイムスリップで2000年前の秦将軍になる(夢か!)
2週間の旅で秦、唐、三國などの時代を通して、今日に栄えた街々を周ることで、改めて中華文明の歴史の面白さを再認識しました。今日の豊かな世界は何れも私たちの祖先たちの生き様で綴られていたものです。私たちも精一杯を生きて、子孫に良い歴史を作ってあげる必要があると思います。